勝手に音楽批評Webサイト カルチャア
洋邦ロックを中心に勝手に音楽批評。昔は音楽のみでしたが、他のことも書いてます。
2013.06.01 Saturday
野球留学のメリットを考える
もうすぐ高校野球の地方大会が始まる。全国各地で甲子園をめざして、高校球児たちの熱戦が繰り広げられることになるだろう。しかし、晴れて代表の切符を手にしたとしても、地元から応援されない高校もある。所謂他の都道府県からの野球留学した生徒で占められる高校だ。
わたしの母は香川県出身である。わたしが子供の頃、よく香川の尽誠学園が甲子園に出場していた。しかし尽誠学園については、母も伯母もまったく応援していなかった。そのほとんどの生徒は関西圏出身者であり、地元出身ではなかったからだ。母の影響もあり、わたし自身も野球留学について批判的な意見を持っていた。しかし今は違う。決して肯定的な意見は持たないが選択肢としては、ありである。
1.本気でプロをめざす近道となりうる
1.本気でプロをめざす近道となりうる
おそらく甲子園の常連校には各球団からスカウトが派遣される。彼らの目に止まりやすい環境にいることで、プロに近づくきっかけが多い。
2.優れた指導者や能力の高い仲間とともに自分の能力を高めることができる
2.優れた指導者や能力の高い仲間とともに自分の能力を高めることができる
スポーツや楽器、語学となんでもそうだが、練習量と質は両方が重要である。強豪校が強いチームであることにはそれなりの理由がある。よき指導者からの指導や、ライバルたちとの競争によって実力をつけることができる。寮が完備されているならば、食事の管理もしっかりやってくれるので、体づくりも安心だ。
3.金銭面での優遇を受けることができる
3.金銭面での優遇を受けることができる
多くの批判の的となるのが、特待生制度である。ただ、どの分野であっても人より優れているのなら、奨学金を受ける権利はあると考える。野球はお金がかかるスポーツなので、才能はあっても家計の事情で断念せざるをえない子どももいるだろう。そういう生徒にとって、野球も続けられてかつ高校にもいけるチャンスを与えてくれる。
そんな若いうちから野球ばっかりでいいのかということは確かに引っかかる。社会常識がないまま大人になり、プロ入りしたものの早い段階で戦力外となり、一般社会に適応できずに苦労している元選手も多いときく。ただ、何が何でもプロになると自分で腹を括っているのであれば、年齢は関係ないと思うし、好機は利用すべきだと思う。
ちなみにここまで書いたが、わたし自身は高校野球には殆ど興味がない。高校で吹奏楽部に所属していたがために、地方大会の応援に暑い中しかもコンクール前に駆り出されたという、嫌な思い出しかない。しかも、親の転勤で不本意な転校をさせられたため、愛校心はゼロであった(お世話になった恩師や友人には大変申し訳ないが)。それ以来、高校野球を見ていない。
最後にふと感じたことだが、わたしのような故郷を持たない転勤族の子どもが甲子園で活躍しても、冒頭の地元志向の方々は応援してくれるのだろうか。
そんな若いうちから野球ばっかりでいいのかということは確かに引っかかる。社会常識がないまま大人になり、プロ入りしたものの早い段階で戦力外となり、一般社会に適応できずに苦労している元選手も多いときく。ただ、何が何でもプロになると自分で腹を括っているのであれば、年齢は関係ないと思うし、好機は利用すべきだと思う。
ちなみにここまで書いたが、わたし自身は高校野球には殆ど興味がない。高校で吹奏楽部に所属していたがために、地方大会の応援に暑い中しかもコンクール前に駆り出されたという、嫌な思い出しかない。しかも、親の転勤で不本意な転校をさせられたため、愛校心はゼロであった(お世話になった恩師や友人には大変申し訳ないが)。それ以来、高校野球を見ていない。
最後にふと感じたことだが、わたしのような故郷を持たない転勤族の子どもが甲子園で活躍しても、冒頭の地元志向の方々は応援してくれるのだろうか。
2013.05.28 Tuesday
久々の更新-IT化と個人
久しぶりにブログを更新してみる。
Windows95が発売されたのはわたしがまだ中学生のときであり、自分自身がパソコンというものに親しみ始めたのは大学に入学してからである。それから考えると、IT技術やコンテンツの進化は実に著しい。そして、新しい技術やアプリは日々生み出されているが、新しいものが生み出されれば生み出される程「組織」ではなく「個人」の力が強まりつつある。わかりやすい例では、アラブの春があげられるだろう。
ITがICTと名前を変え、その代表格であるソーシャルメディアが世界を動かしていくーそれについては前向きな意見が多いことは否定はしないが、組織に守られない「個人の力」が試されるとも言える。ちょっとしたつぶやきで社会的信用を一瞬にして失う著名人は数多い。それだけ自分自身の発言、強いて言えば自分自身に対して責任を持たなければ行けない時代になったのだろう。拡散も早く、コドバだけでは伝えられない行間を読むことは、いくらハイコンテキスト文化にどっぷり浸かっている日本人であっても難しい。大それたことではなくても身近な人のつぶやきやポストによって、その人の知られざる一面が簡単に日の目を見ることになり、その人を見る目が変わるということは日常茶飯事となっている。
IT/ICTの”I”はInformationであるが、私のIでもあるのかもしれない。そもそもITはツールであり、利用者の意志がないと動くことはないのだから。
2012.09.08 Saturday
社会人の文章力について
普通に企業勤めをする人は、必要最低限の文章力が求められると最近感じている。それはあくまで、美しく洗練された文章を書くということではなく、ポイントを押さえた構成、状況に応じた適切な単語の選び方、第三者が見てもわかるのか等である。なぜわたしがこのようなことを感じるのかというと、これまでの社会人生活を振り返って、意外とわたしの同世代であってもそれができない人がいたからだ。
特に会議・打合せの議事録である。出席していない人が「何言ってるかわからん」代物をたまにお見かけする。議事録とは会議で何を話されたかを記録するものであり、そもそも目的のない会議はないのだから共有されるべき情報、次に向けたアクションが議論される(とわたしは信じている)。だからそのような「何言ってるかわからん」議事録は無意味である。また、顧客に提出する場合は作業内容や作業責任、納期等を明確に記載することも必要である。あとで「言った言わない」の話になり、プロジェクトの損益悪化を招くこともよくある。
また「敬体/常体の統一」「敬語の適切な使い方」「漢字」等のミスも多い人は強烈に多い。仕事には直接影響しないかもしれないが、頭が悪そうに見えることは否めない。わたしの父が以前企業の採用担当者だったときは、入社試験で作文を書かせることは重要だと言っていた。その中で「漢字があまりにも使えない人、間違いが多い人は絶対に採用しない。」「400字の作文であっても100字くらいしか書かない人もいる。その時点でアウト。」と言っていた。仕事ぶり全般も表れるからだという。わたしの同世代であれば、同じ教育指導要綱の下小学校の国語の時間で習ったはずであるのだが。
わたしも偉そうなことは言えない。議事録については「抜け漏れがないように」細かく書きすぎて、やたら長くなることは多い(だからあえて冒頭に要約をつけるようにしている)。もっとうまくポイントを絞った簡潔でわかりやすい文章を書けるようになりたい。
文章力は書いた量や経験値にに必ずしも比例する訳ではないから難しい。一般的なマナー同様年齢を重ねれば重ねる程、おかしな文章を書いていても誰からも指摘してもらえない。しかも年齢が上であればある程、変な文章を書いたときの周囲の人からのその人への評価は下がる。すぐになにかできる訳ではないが、わたしも日頃から意識してものを書くようにしたい。
2011.02.21 Monday
僕の好きな先生2
この日曜日、大学の先生と会った。といってもわたしの先生ではなく、先生になりたての若い方である。わたしの大学時代の同級生であり、博士課程を修了し2年前から都内の大学の専任講師をしている友人である。4月からは別の大学へ移るらしい。実は卒業式以来の再会なのだが、「1年ぶりくらいだね」とお互い笑い合った。
彼女は院から別の大学に行ったのが、学部時代の大学の先生とも学会等を通じておつきあいがありそういった人の縁を大事にしていた。「ポスドク経ずに講師になれたのも、そういう縁とか運とかもあるんだよね」とケロっといってのけ、自分を育ててくれた人たちに感謝をしている。勿論ここまでくるためにとても努力をして、勉強をして、講師になったのだろうが。そしてこちらで書いたわたしのゼミの先生もそうだが、今度は自分の学生に対して教育(知識だけではなく、社会の常識等含めて)という形でフィードバックしている。
わたしも毎年会社の採用活動支援をやっている関係で、彼女ほどではないが学生さんと話をする機会がある。最近は、ゆとり世代と批判されるわたしよりも少し若い世代にも、彼らなりのいいところはあると思っている。彼女曰く「昔ほど競争社会ではなくなった分、若い人が誰かを押しのけてとか蹴落としてという考えがなくなったのはある意味いいところだ」とのことである。そして講師としての教育だけではなく、研究者としてリサーチ活動も精力的に行っているらしい。昔HEP FIVEのマーケティングリサーチをしたのが懐かしい。
彼女に限らずすべての友人に言えることだが、明らかに仕事が楽しい人は魅力的だそういう人からは学ぶことや刺激を受けることが数多い。しかしわたしの友達(小学校〜大学にかけての友達)で大学を出て所謂普通に会社のサラリーマンをやっている友達って実は少ない。
2011.02.12 Saturday
日本人が英語が苦手な理由を考える
先日書いた通りわたしは会社の採用活動支援たるものをやっていて、明日も学生さんの前でプレゼンをしなくてはいけないのだが、我が社だけではなくどの日本企業もグローバルグローバルと昨年くらいから五月蝿いと思う。そもそも日本が少子高齢化が進んでいることは十年以上前からわかっているし、今のままの内需依存型のビジネスモデルでは成り立たなくなるのは目に見えているのに今更各社こぞって言い始める理由がよくわからないのだが。ただグローバルといえばまずは各社お題目のように英語、海外研修というありきたりの、わたしから見れば突貫工事的な餌(人によっては脅威ともなる)をつかって、優秀な学生集めに必死である。
しかし、日本人は先進国において(アメリカ、イギリス同様)最も英語のみならず外国語が苦手な国民である。特に英語については中学、高校、大学で少なくとも7年くらいは勉強しているはずなのになぜか。軽くだがちょっと考えてみたい。
1.日本語しか話せなくても生きていける
(1)立地的な面から:島国であり他国と陸続きでないので、国同士の交流が少ない。民族も大和民族が大多数を占め、日本語以外の言語を日常的に使う人が圧倒的に少ない。
(2)経済的な面から:戦争に負けたが、奇跡的な経済成長を遂げて日本は世界屈指の先進国になった。しかも国土の割には人口が多いため、国の中でビジネスが完結している。
2.日本語のもつ性質上理由
母音がa/i/u/e/oと極端に少なく、複数の母音を持つ言語を聞き取ることが難しい。しかも日本語は特異な語派に所属するので、英語と同じゲルマン語派に所属する言語を母語とする人たち(北欧とか、ドイツとか)と比べて不利になる。
3.日本人の民族的特性
日本人は、自分の意見を持ち積極的に論理的に相手に説明できるという能力が他民族よりも劣るのではないかと思う。正しいか正しくないかは別にして、自分の意見を主張するということは、実は英語能力ともリンクするのではないだろうか。言葉を話すということは自分の意志を自分以外の誰かに伝えるということである。そもそも言語以前の問題だが、「伝えたい何か」がないと当然それをするためのツールは役に立たない。
わたしはこの3.が実は英語力以上に重要なファクターだと思う。我が社もそうだが、今グローバル化を急進しようとする日本企業の方々は、単に英語ができるだけではなくこの3.の能力やポテンシャルがある人材を活用してほしい。
2011.02.08 Tuesday
僕の好きな先生
毎年採用活動支援の一環で母校を訪問し、学生の前で偉そうに訓示をたれるのがわたしの冬の好例行事である。母校のゼミの後輩と知り合ういい機会なのだが、何よりも担当教官であった先生と会うのが楽しい。
わたしのゼミの担当教授は、商学部の中でも学術的な研究実績も多く、所謂看板教授であったが、研究にかまけて学生対応をおろそかにするということはなく、研究と同じくらい学生への教育にも力を注ぐ方である。最低限の事務方(教授間持ち回りの役職等)はこなしたが、学長や理事長等の椅子には全く興味がなく、定年までの数年はこれまで以上に研究と教育に力を入れようとされている。
ここまで書くとたいそう立派な方を想像されるかもしれないが(確かに立派なのだが)、随分と俗っぽい方である。常にシニカルな視点を持ち、学内政治に熱を上げる同僚を批判し、教育よりも就職実績に気を取られる学内組織の悪口を言う。高倍率を勝ち抜いた自らのゼミの学生に対しても「今年はおとなしい」「今年は元気だが、あまり頭はよくない」等容赦ない。ちなみに定員20名に対して毎年4倍〜5倍の学生が応募する。(選び方は完全に先生の「そのときの」好みである。)学生の発表に対しても「本当にそうなのか?」と常に鋭い突っ込みが入る。実際に経営学という実践を伴う学問を研究しながらも民間企業での就業経験はないが、今企業が抱えている問題を的確に指摘できるのはそういう性格もあるのかもしれない。
もうすぐ先生の誕生日だ。毎年某北の共和国の将軍様の誕生日の様子がテレビで放映されるが、それを見るたびに、先生の誕生日を思い出しメールをしている。今年は前乗りして、「はがき」にしてみるのもいいかもしれない。
2011.01.08 Saturday
正月に思う
明けましておめでとうございます、という定番の年頭の挨拶。ただ年が明けてなぜめでたいのか。昔の人は長く生きることが難しかったから、新しい年を迎えられただけめでたいのだろうか。
仕事柄年末の挨拶、新年の挨拶と年末年始は慌ただしいのだが、そもそも挨拶まわりは必要なのか。通常業務が止まってしまう。ただ普段あまりお会いできないお客様先に行く口実にはなるし、そこで「相談したいことがあったんですよ」等と言われれば、商売のきっかけにはなるのはいい。ただ年の暮れと年始の両方は不要な気もする。1週間位でまた訪問とは新鮮味がない。
毎年150枚くらいは年賀状を書くのだが、結構労力がかかる。今年からは宛先を家のPCで印刷することにしたから随分楽だ。ただ誰まで書くかかなり悩みどころ。異動が多いので過去の部署の方をどうするかが難しい。ただ昔から転校が多かったので古い付き合いの方へは、年賀状は連絡を取るいい機会である。
どの国でも毎年新年の目標を立てるのは一般的みたいだが、新年だから目標を立てるのはどうなんだろう。節目で何かするのはいいことなんだが、毎年同じ目標というのは進歩がないし、それならやめるかその一年で達成した方がいいと思う。また目標を立てずにのんびり休むときがあるのもよいと思う。節目で目標等を見直すのはいいことだが、それが新年である必要はない。
2010.11.21 Sunday
前向きに考える
とある会社の親しい先輩が部下を指導する立場になった。わたしも年次的にいつそのような立場になってもおかしくないのだが、その先輩の一言が当たり前のことであるのだが印象に残っている。
「若い人たちは受け身だと批判されることも多いが、自分たちよりも上の人の言うことを素直に聞くという長所もあると思う。そういう彼らの長所や自分たちの長所も生かしながら組織を作り上げれば強い組織ができると思う。」
世代でひとくくりにするのは好きではないが、「お互いの長所を生かしながら組織を作り上げる」という発想には大いに共感する。容易なことではないが、こういう発想ができる人をもっと増やしたい。
2010.10.24 Sunday
チリ落盤事故報道に感じる違和感
先日作業員全員が無事救出された、落盤事故。事故発生から70日という月日が経ったものの作業員全員が無事だったというニュースは、暗い世情に一つの希望を与えてくれたと思うが、その報道っぷりに違和感を感じてしまう。
まず「感動」の押し売り。確かにこの33人が暗い地下で食料を分け、助け合って生きながらえたことは一つの奇跡だと思うが、それを感動だと報道するのはどうなのだろうか。単に彼ら自身は生き延びるのに必死だったのではないだろうか。(発見されるまでの間おそらくパニックに陥っていただろう作業員たちをまとめ、備蓄していた食料を分配したリーダーがどのようなリーダーシップを発揮したのか(他のメンバーが彼を助けたのか)については興味をそそられるし、すばらしいことであると思うが。)
そして、もっとも重要なことであろう今回の事故が起こった背景、再発防止対策、他の鉱山でもおきうる危険性等の検証について報道されていないのが不思議でならない。安易な発想だと思うが、チリも新興国の一つであると思うが、発展を急ぐ新興国において同様の事故が起こりうるのではないかと心配になる。採掘現場の安全確保基準等国ごとに異なるとはいえ、見直しや点検が必要になるのではないか。
尖閣諸島問題等で明るいニュースがないからか、こういった難しい問題には触れずに作業員の家族も問題(あと本件の大統領の政治利用)ばかり報道されているように見受けられて「いいんか?」と思っている。他国はどのように報じているのだろうか。
2010.10.16 Saturday
谷亮子の引退について思う
谷亮子が引退するという。元々議員の仕事と柔道、家庭の両立は厳しいだろうし、それがなかったにせよ若手選手の台頭っぷりを見るとなかなか茨の道だったと思うので、妥当な選択だと思える。ただメディアも「谷さん、おつかれさまでした」的なあたたかいコメントではなく、妙に滑舌が悪い気がするのはわたしだけか。
確かに彼女の空気を読まない発言や政界進出については快く思わない人も多いし、彼女の最大の「支援者」として小沢一郎の陰が見え隠れするのは決してクリーンではない。ただ政治家としての谷亮子については別として、柔道家としては超一流の部類だったと思う。わたしは柔道の世界には詳しくないが、世界選手権6連覇、オリンピックでも銀2、金2、銅1とこれほど華々しい活躍を遂げた選手は、柔道以外であってもほとんどいないだろう。
谷亮子に限らずスポーツ選手意外でも結果を残していた頃にはちやほやされていた(結果残していてもちやほやさえしてもらえない人もいる)が、何かあれば手のひらを返したように冷たくされる世の中って怖いなあと思う。ちょっとした失敗によって一気に今まで積み上げてきたものがなかったかのように扱われるのは、自分がその立場であれば辛いかもしれない。(谷亮子にしたら、それくらいのことを気にしているようであれば、世界の頂点には立てないのだろうけど。)
彼女についてすごいなあと思うのは、単なる柔道家としての成績だけではなく、
1.数十年にわたってモチベーションを維持してきたこと。
2.結婚、出産を経ても柔道家としての成果を残してきたこと。
の2点についてである。もちろん周囲のサポートがあってのことだろうが、この2つをあわせもてる人はそう多くはない。
政治家に関してはまだど素人だが、柔道と同様一朝一夕の積み重ねが大事で、すぐに成果が出るものではないだろう。彼女なりに勉強してこの国に貢献してほしい。